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もみじ祭り

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夕霧供養


夕霧は嵯峨中院の生まれで俗名を「てる」とも伝えられています。

京都島原(下京区西新屋敷にあった花街の俗称)廓の扇屋四郎兵衛の抱え遊女となり、その後の寛文2年(1662)扇屋が大阪新町廓に移り、江戸の高尾、京の吉野と並び名妓夕霧はたちまち大阪髄一の全盛をうたわれたといいます。

彼女は、延宝6年正月6日、26歳にしてその生涯を閉じました。

常照寺には太夫が寄進した山門と墓があります。

江戸前期には太夫などの最上級の遊女は芸事だけでなく武家、公家、上層町人の相手を務めるだけの教養を兼ね備え、金や権力に媚びない資質も必要としました。

当時吉原の遊女3,000~4,000人の中で太夫は10~20人ほどだったといいます。

夕霧太夫の書いた、待つ春の文は、彼女の才能と人柄があらわれている美しい文章で、これを着物の袖などに縫い込んだり、箪笥にいれておくと生涯衣類に不自由しないと伝えられています。

類稀な「才・色・品・情」を併せ持った夕霧太夫は多くの人々を魅了し、その後近松門左衛門の歌舞伎狂言・浄瑠璃にも劇化上演されて人気を博し、「廓文章」は、現在でもなお親しまれている歌舞伎です。

2代目夕霧太夫は、歌舞伎役者の初代中村鴈治郎(扇屋の孫娘)の末娘、女優の故中村芳子が襲名しました。

彼女は
「あでやかに 太夫となりて 我死なん 六十路過ぎにし 霧はかなくも」と詠んでいます。

音曲、舞踊、茶、花、和歌などあらゆる技芸に通じ、さらにその美貌で人気を集めた江戸初期の島原の遊女、夕霧太夫。近松門左衛門の「夕霧七年忌」のモデルにもなったほどの名妓と言われています。

夕霧供養では、島原の太夫を招いて本堂で法要を行い、その後太夫は禿(かむろ)を従え墓地まで道中し、花を供えてお参りをします。

また、霊宝館の秋季特別公開も開催されており、国宝の本尊釈迦如来像胎内納品などを見ることができます。

場所:清凉寺(右京区嵯峨釈迦堂)

日程:11/9(日)

時間:10時~11時

料金:400円(太夫道中見学は無料)。霊宝館:400円(本堂参観の場合は700円)

アクセス:市バス28「嵯峨釈迦堂」

お問合せ:075-861-0343
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by taoya3 | 2008-10-29 10:02