京都初ゑびす
2009年 01月 07日
恵比寿神社
「商売繁盛、笹もってこい」と三味線と太鼓に合わせたゑびす囃子が21世紀の景気を盛り上げます。
正月10日は、農神、商売、漁業の神様として知られるゑびす神の誕生日とされる日。
8日の招福祭、9日宵ゑびす祭、10日初ゑびす大祭、11日残り福祭、12日撒福祭と、10日をはさみいろんなお祭りがにぎやかに行われます。
ほかに餅つき神事、湯立て神楽神事が行われ、吉兆笹が授与されます。
また、本当に聞き届けて欲しいなら社殿の後ろにまわり板戸を叩いて「たのんまっせ~」と念押ししておくのも京のゑびす祭ならではのお約束。
京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。
その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。
今日多くの方はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものです。
笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。
アクセス
市バス(31・46・201・203・207系統など)で四条京阪前バス停徒歩約5分
住所
京都市東山区大和大路通四条下ル小松町125
安井金毘羅宮
第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668~671)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。
第75代崇徳天皇(すとくてんのう)(1123~41)は特にこの藤を好まれ、久安2年(1146)に堂塔を修造して、寵妃烏丸殿(からすまどの)を住まわされました。
崇徳上皇が保元の乱(1156)に敗れて讃岐(香川県)で崩じられた時に、烏丸殿は寺中の観音堂に上皇より賜った自筆の御尊影をお祀りされました。
下って治承元年(1177)、大円法師(だいえんほうし)が御堂にご参拝されましたときに、崇徳上皇がお姿を現わされ往時の盛況をお示しになられました。
このことを直ちに後白河法王(ごしらかわほうおう)にお伝えし、詔によって建治年間(1275~77)に建立された、光明院観勝寺が当社の起こりといわれています。
光明院観勝寺は応仁の乱(1467~77)の兵火により荒廃してしまいましたが、元禄8年(1695)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建されました時に、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政を祀ったことから安井の金比羅さんの名で知られるようになりました。
明治維新の後、院を廃して安井神社と改称しましたが、第二次大戦後安井金比羅宮となり現在に至っています。
アクセス
市バス206「東山安井」
e-京都 http://www.e-kyoto.net/」
by taoya3
| 2009-01-07 17:35