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<   2009年 04月 ( 13 )   > この月の画像一覧

吉野太夫花供養・常照寺


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常照寺は、日乾上人に帰依した吉野太夫ゆかりの寺として知られ、太夫の墓や太夫が寄進した「吉野の赤門」と呼ばれる山門、吉野窓(茶室)、吉野桜も有名。

寺の始まりは元和2年(1616)、本阿弥光悦の子・光嵯が発願し、本阿弥光悦の寄進した土地に日蓮宗中興の寂照院日乾上人を招じて開祖。

寛永4年(1627)には僧達の学問所として鷹峰壇林(学寮)を開設。往時は大小の堂宇が建ち並び、山城六壇林として栄えたが明治に廃止されている。

赤い山門は「吉野門」とも呼ばれているが、名妓2代目吉野太夫の寄進。

寛永5年(1628)、日乾上人に帰依した吉野太夫(23歳の時)が、私財を投じて山門を寄進したもの。

太夫は、都の六条三筋町(後の島原)に在った廓の名妓で、遊女としての最上位にあたる太夫。

教養が高く、和歌、連歌、俳句、書、茶道、華道、音曲、囲碁、双六など諸芸に優れていただけでなく、その美貌は遠く唐(中国)にまで伝わっていたという。

当時の上流社会の社交場の花であった太夫は、京の豪商で文化人でもあった灰屋(佐野)紹益に見初められることとなった。

しかし、身請けしようとした紹益の親は猛反対。

その後、吉野太夫に会った親は、身請けを許している。この二人のロマンスは、歌舞伎などでも演じられ有名。

なお、吉野は38歳という若さで病死してが、日乾上人に帰依し、生前には山門を寄進した縁もあり、この寺に葬られたもの。



吉野太夫とは


江戸時代の初期、京の遊郭で天下の名妓とうたわれていたのが二代目吉野太夫。

常照寺の朱色の山門には「吉野門」の名札が掛けられているが、その吉野太夫の寄進により建てられたものである。

太夫は日頃から熱心な法華経の信者。

ある日、人として生きる道を仏法に求めようと日乾(にちけん)上人を頼って常照寺へ訪れ「法華経こそ一切女人成仏の印文なり」と導かれた太夫は、日乾上人への帰依の証しとして私財を投じて山門を寄進したのである。

二代目吉野太夫は、慶長11年(1606)3月3日、京都市東山区にある現在の国立京都博物館近くで生まれている。

本名を徳子といい、父は松田武左衛門で西国の武士であったが流浪のすえ京に住んでいた。

7歳(1613)のとき父が亡くなり、訳あって六条三筋町の遊里「扇屋」に預けられることになった。

最初は禿(かむろ)として太夫などの雑女をしていたがその時から美しさは際立ち、遠く唐(中国)の国にまで知れていたという。

14歳の若さで太夫の位について源氏名を「浮舟」としたが、遊郭の入口近くに咲く桜を見て詠んだ句から名を「吉野」にかえている。

当時の太夫は、容姿が整い美しいだけでなく、一流の教養や芸能を身につけていなければならず、それだけに太夫の力は絶大だった。

二代目吉野太夫は、書画、和歌、俳歌、花道、茶湯、聞香、太鼓、鼓、琴、三味線、囲碁、双六など諸芸に優れ「三筋町七人衆の筆頭」「寛永三名妓」などと呼ばれ呼ばれていた。

こうした才色兼備の名妓吉野に思いを寄せ、通い続けた男が二人。

その二人とは、京の町を代表する文化人、関白の近衛信尋と本阿弥の親戚にあたる灰屋紹益(本名佐野三郎重孝といい、剃髪して紹益と号した)であった。

紹益は、もともと本阿弥光益の子であったが養子で佐野家にいった。

家業が南北朝時代からの紺灰(藍染に使用する灰)問屋を営むことから、屋号が通称になって灰屋紹益と呼ばれていた。

富商であった財力をもとに生涯を趣味と雅やかな生活を楽しみ、和歌、茶の湯、蹴鞠などに秀でていた。

紹益は、公卿と張り合い、寛永8年(1631)千三百両で吉野太夫を身請している。

吉野26歳の時であったという。

このとき紹益は親の許しが得られず駆け落ちした話は有名。

この父が、雨にあって傘を借りに入った家で、世話をしてくれた女の茶立てやその他の振る舞いが礼にかなっているのに感服、その女が吉野であることが分って、勘当をゆるしたという。

二人は東山の音羽川のほとりに住まいを構え幸福な家庭を営んだ。

寛永20年(1643)8月25日、吉野は38歳の若さで没し、甘い生活はわずか12年間と短く、紹益は恋慕のあまり吉野の荼毘の骨灰を呑みほし、「都をば花なき里となしにけり吉野の死出の山にうつして」と詠んだ。

吉野は、本来なら夫の菩提寺である立本寺(りゅうほんじ)に葬られるはずだが、遺言から帰依した日乾上人により生前に山門を寄進した縁もあり、常照寺に葬られた。


4月19日

拝観料: 当日券5000円(8時半~受付)、前売券4500円


アクセス

市バス「鷹ヶ峰源光庵前」下車、徒歩約2分

【JR嵯峨野線「二条駅」から6号系統、又は市地下鉄烏丸線「北大路駅」(北大路バスターミナル)から北1〔仏教大学前系由〕系統のいずれか】。

拝観時間

8:30~17:00

拝観料

300円

住所

京都市北区鷹峰北鷹峰町45

電話

075-492-6775


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by taoya3 | 2009-04-17 08:52 | 京都歳時記
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清水寺舞台の北隣にある恋の神様です。

素敵なご縁を授かって、季節だけでなくハートにも春を呼びたい方へ朗報!縁結びの神様恒例の春の行事です。

古来より謡曲や詩歌などで知られた地主権現のさくら祭では、白川女による地主桜の献花・献茶や、謡曲「田村」「熊野(ゆや)」披露の後、俳句の朗詠や縁結び祈願などが行われます。

参拝者全員に平和開運御守りが無料で配布されます。

また有名な地主桜は八重と一重の花を同時に付ける珍しいもの。

付近では最も遅く開花し、黄桜と共に見応え充分です。


日本の神様  ~宮司・中川 平~

日本の神さまは八百万の神として知られ、宇宙・世界・森羅万象のすべてのものに神が宿るという考え方であります。

日本の神さまは、太陽・月・山・川・森・岩・石すべてに神霊が宿り、人間に幸福を与えてくださると考えたのです。

特別な教義というより、自然・宇宙・世界=神の存在と考えたのです。

人間もこの地球上に、他の一般生物同様に生かされて今日に至ったのであります。

地主神社の歴史は遠く神代に及ぶといわれ、東山の宝来山不老長寿の霊山に鎮座されています。

近年、ニューヨークの原子物理学者ボースト博士の研究によれば、地主神社の創建は縄文時代、約1万年前だということが、恋占いの石の測定で実証されました。

古代の人々は、太陽・月・山・川・森・岩石などを神と仰ぎ、感謝の毎日を送っていたに違いありません。地主神社は土地の守り神でもあります。

この地上における人間の営み、人と人との出会い、男女の縁、親子の縁、商取引の縁、学校の縁…などを考えれば、人間の出会いによって幸福な人生を送る人もあれば、不幸な一生を送る人もあります。

心の安らぎ、心の平安こそ大切なことです。

宇宙自然という無限の神から、人間へのありがたいメッセージ・贈り物を授かり、生かされている日々に、感謝の念を忘れてはなりません。

毎日の感謝の祈りこそ大切なことです。

老若男女を問わず、毎日たくさんのご参拝の皆さまをお迎えして、神明に奉仕する喜びを感謝いたしております。

最近は、アメリカ・ヨーロッパ・中国などの人々でも、神道を理解する方々が増えてきました。

ニューヨークからわざわざ御礼に来られる方もあり、日本の神さまは全世界の人々の幸福、世界の平和、友好親善にもご利益を日々お授けくださいます。

愛と平和の社会をめざし、神道の精神が世界のすみずみまで広がることを願っています。




今月の宮司の言葉


平成21年4月「御車返しの桜」「えんむすび祈願さくら祭り」「白川女」



春爛漫の頃となりました。

吉田兼好は『徒然草』で江戸時代の桜の見頃を次のように予想しましたが、今年は暖冬だったせいか桜の開花もずいぶん早いようです。

   花のさかりは…(中略)…立春より七十五日、おほやうたがはず。(『徒然草』)
   (桜の花盛りは、立春から七十五日目でだいたい違いない)

もともとお花見は、神様といっしょに美しい花を愛でながら春の訪れに感謝し、豊作を祈願する儀式でした。

桜の咲き方を見て農事を始めることも多く、次のような歌も詠まれています。

   あしびきの山の桜の色見てぞをちかた人も種はまきける(紀貫之)
   (山の桜が咲いたのを見て、あちらの人も種をまいたのだなあ)

山に自生していた桜を宮中に植え、その花の下で詩や歌を詠む宴を催したのが嵯峨天皇です。

それが記録に残る最初のお花見とされ、以来、貴族たちの間でお花見が盛んに行われるようになったそうです。

地主神社には、そんな嵯峨天皇もご覧になったという「御車返しの桜」とも呼ばれる地主桜があります。

一本の桜の木に一重と八重の花をつけるというめずらしい桜で、謡曲「田村」「熊野」でもその美しさが讃えられています。

   それ花の名所多しといへども…(中略)…地主の桜にしくはなし(謡曲『田村』)
   (花の名所は数多くあるけれど、地主の桜に勝るものはない)

4月19日の「えんむすび祈願さくら祭り」では、ゆかりの謡曲「田村」「熊野」を奉納いたします。

また、地主桜は、京に都があった頃には“白川女の花使い”によって禁裏御所にも毎年献上されていました。

さくら祭りでは、この白川女による献花式もとりおこないます。

   この花の一節(ひとよ)のうちに百種の言(こと)ぞ隠(こも)れるおほろかにすな(『万葉集』)
   (この桜の枝には多くの言葉がこもっています。だから、おろそかにしないで)

桜の一枝に手紙を添えて、恋人に贈った歌です。

咲き誇る桜に募る恋心を重ねたのでしょうか。

地主神社では地主桜をはじめ、この頃にはツツジや牡丹、小手毬なども美しい花を咲かせます。

どの花も春の息吹にみち、神様のお力があふれています。

どうぞそのご利益を授かりにご参詣くださいませ。おしあわせに。




毎月第一日曜日の「えんむすび地主祭り」でも「縁のふしぎ」など宮司のお話がございます。



地主桜

一本の木に八重と一重の花が同時に咲く珍しい品種。嵯峨天皇行幸の折、地主の桜のあまりの美しさに、三度、御車をお返しになった故事より、別名「御車返しの桜」とも呼ばれる。

京に都があった頃は、『白川女の花使い』によって、毎年禁裏御所にもこの桜が届けられた。

現在の地主桜は、円山公園のしだれ桜等の桜守として知られる、佐野藤右衛門(考証:井上諍蔵)によって献木された。

さくら祭りの頃、背後の黄桜(ウコンの桜)と共に満開となり、その気品と風格のある美しさで境内は華やぐ。



アクセス

市バス206「清水道」

料金: 清水寺の入山料300円

お問合せ: 075-541-2097


http://www.e-kyoto.net/
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by taoya3 | 2009-04-14 11:29 | 京都歳時記

葵祭

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皐月の京都を彩る葵祭は上賀茂・下鴨両神社の例祭で、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭に数えられています。

葵祭りは平安時代から盛大に行われており、その盛況ぶりは「源氏物語」をはじめ、多くの古典に伺うことができます。

6世紀の中頃、欽明天皇の頃に凶作が続いたので、賀茂神の祟りを鎮めるため、4月吉日に鈴をつけた馬を走らせて、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられています。

現在の祭は、三日に下鴨神社で前儀として行われる流鏑馬神事に始まり、五日の歩射神事、5月4日の斎王代御禊の儀、12日に神霊を迎える御蔭祭、同日深夜の御阿礼神事と続き、15日の葵祭となります。

15日の早朝、御所に参集して御祭文・御幣物を拝受する宮中の儀が行われ、そのあと午前10時半頃、参加者約511名、牛馬約40頭、先頭から最後尾まで約1キロに及ぶ行列が御所建礼門前を出発します。

行列は、警護の武官や白丁・勅使などの文官・武官や女官など、平安時代の装束をつけ、王朝風俗をしのばせる優雅なもので、第1列(検非違使・山城使)、第2列(御幣櫃・馬寮使・牛車)、第3列(舞人・近衛使)、第4列(陪従・内蔵使)、斎王代列(斎王代・女人)からなる。

正午前に下鴨神社に到着すると社頭の儀があり、東遊や走馬などが行われたあと、午後には再び祭列をととのえて上賀茂神社へ向かい、午後3時半頃に到着します。

今でも参加者は葵をかざし、また家々にも葵を掛ける風習があります。


祭の起源

古墳時代後期の欽明天皇(540 ~571年)のとき、凶作に見舞われ飢餓疫病が流行したため、天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。

上賀茂、下鴨両神社の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭に数えられている。


名前の由来

牛馬にも葵の葉

祭の当日(5月15日)、内裏神殿の御簾(みす)をはじめ、御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉と桂の小枝で飾ったことからきている。



祭の特徴

かつては「勅祭」
 装束の着付け、調度など平安期の文物風俗を忠実に保っている。

本来、勅使が下鴨、上賀茂両神社で天皇の祝詞を読み上げ、お供えを届けるのが目的の祭りで、天皇が京都にいたときは、行列の飾り馬と出立の舞を見学したりしていた。

行列は路頭の儀といい、長さ約1kmにも及ぶ。行列が上鴨神社、下鴨神社に到着すると、勅使の御祭文の奉納、東遊舞の奉納など社頭の儀が神前で行われる。


歴史


中世には衰微

平安時代中期には、「祭り」といえば葵祭をさすほど隆盛を極めたが、鎌倉、室町時代には衰え、戦乱期に入ると行列は姿を消してしまった。

江戸・元禄期に再興されたが、明治2年の東京遷都で行列は中止となった。

政府の京都活性化策として明治17年に復活したが、第2次大戦で中止され社頭での神事だけが続けられていた。

戦後、行列が巡行するようになったのは昭和28年からで、斎王代の登場は同31年から。



知識

・保存きかないアオイ

平安遷都後の大同2年(807年)、飾り草として使ったのが最初。

正式名はフタバアオイで、淡紅紫色のかわいらしい花をつける。

山の清流のほとりや深い杉木立のなかに自生しており、水の汚れを極端にきらう。

長く保存ができないため、祭に必要な約1万本のアオイを納入期限の4、5日前のうちに一気に採取しなければならない。


・牛車にも高級車

牛車にもいろいろあって、最高級車は唐車。

葵祭では勅使用の牛車がそれにあたる。

斎王代用は八葉車と呼ばれる少し位の下のもの。

昔は牛車で社参していたが、今は乗っていない。

外見の優雅さとは裏腹に乗り心地は、はなはだ悪く、車酔いも起こしかねないそうだ。


・女の闘い、車争い

「源氏物語」の「葵の巻」に、斎王列見物にでかけた葵の上と六条御息所の車争いがある。

いまをときめく光源氏の正妻、葵の上と、源氏の愛がさめた御息所の衝突。

御息所の車は見物の列からハジキ飛ばされる。気のすまない御息所のうらみは生霊となって、やがて葵の上にとりつく。


・豪傑もグウグウ

葵祭の翌日、斎王列が帰るというので、頼光四天王で名高い坂田公時ら3人が見物に。

でも、馬では野暮だし徒歩では人目がある。

「牛車で見物としゃれ込んでは…」。

1人の提案に全員が同意。早速に出かけたが、慣れない車にゆられて強者も車酔い。

車の中でグウグウ、スウスウ。目を覚ましたときは、行列は過ぎたあとで、文字どおり、あとの祭り。

(「今昔物語」巻ニ八ノ二)

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by taoya3 | 2009-04-12 17:05 | 京都歳時記
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葵祭の神事は5月の間中、約1ヶ月に渡って執り行われています。

春季京都非公開文化財特別拝観の期間中(4/26(土)~5/6(火) )は、上賀茂、下鴨両神社にて、神宝や社殿等が公開されています。


3/16(日) 葵祭に奉納する賀茂なすの豊作を祈る祈願祭 生産者が賀茂なすの苗を本殿に供え、5月半ば~8月半ばの収穫に向けて毎年祈願しています。

4/2(水) ・京都御苑 葵祭の有料観覧席券の予約受け付け開始

4/14(月)平安会館  葵祭のヒロイン・斎王代の発表 2008年度の斎王代は…!? →京都新聞H.P

4/17(木) 櫟谷七野(いちいだにななの)神社   斎王代が献茶 斎王代は、下鴨、上賀茂両神社を参拝した後、上京区の櫟谷七野神社で両親と共に神職からお祓いを受け、茶と玉串を神前に供えます。

同社周辺には平安~鎌倉時代に、賀茂社に奉仕する斎王や女官が暮らした広大な斎院があったといいます。

4/29(火・祝) 「葵使」の行列

5/1(木) 競馬会足汰式

5/3(土・祝) 流鏑馬神事、賀茂祭騎射

5/4(日・祝)端午の節句祭、古武道奉納 ・古武道奉納(日本各地、外人も交えた十二余流派によって勇ましい古武道が奉納される。

珍しい古武道を直接観る事ができます。午後から。)

5/4(日・祝) 斎王代女人列御禊神事

5/5(月・祝) 更衣祭(非公開)、歩射神事、(14時~)なぎなた奉納、詩吟奉納、鳴弦暮目神事、少年剣道奉納

5/5(月・祝) 競馬会神事

5/7(水) (10時~)献茶祭 ・(武者小路・表・裏三千家交互の奉仕で行われ、境内では副席、野点、点心等の席が設けられています。)

5/10(土) 献花祭 ・(遠州宗家一門が神前に生花(木もの)を供えます。門弟も参列して年に一度、鴨の大神を慰める前儀です。)

5/12(月) 御蔭祭

5/12(月)御禊の儀、御掃除祭、神御衣献進祭、御阿礼神事
・御禊の儀(神職一同が境内橋殿にて身を清めます。15時~)
・御掃除祭(賀茂祭を迎えるため、本殿内を清めます。15時~。非公開)
・神御衣献進祭(御神服を冬服から夏服に更衣する為、献進するお祭り。15時~。非公開)
・御阿礼神事(当神社祭儀中、最古で重儀の秘儀。15時~。非公開)

5/14(水) (10時~)びわ湖堅田供御人行列・鮒奉献式

5/15(木) 葵祭(賀茂祭)

5/17(土)(10時~)献茶祭 賀茂祭終了後、表・裏両千家家元が隔年奉仕で、神前に濃茶と薄茶を捧げます。

また、境内の副席には参拝者がお茶を頂きます。

5/18(日)(10時~)煎茶献茶祭 葵祭りをしめくくる神事。

小川流家元が白磁、白泥の道具で厳かに一煎を入れ、東・西両御祭神に煎茶を捧げます。

境内に設けられた煎茶席と玉露席で、列席者らは煎茶を接待されます。)

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by taoya3 | 2009-04-09 13:55 | 京都歳時記
京都三大祭のひとつで、源氏物語にもその華やかさが描かれている葵祭。
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平安絵巻のような写真を撮りたい人や、ゆっくり座って観たい人には、有料観覧席をおすすめします。
予約はインターネットでも同時に開始されます。

また、京都御苑席は、JTB、KNT近畿日本ツーリストの各支店(店頭での直接販売:販売時間は店舗により異なります)でも購入可能です。

なお、e-kyotoではプレゼントコーナーにて観覧席の無料招待券を予定しています。

e-kyoto葵祭特集へ

(日程)予約受付:4/7(火)9時~ 葵祭:5/15(金)

(場所)京都御苑(建礼門前南側。行列通過は10時半頃)または下鴨神社参道(行列通過は11時40分頃)

(料金)1席2,000円(全席指定・パンフレット付)

(お問い合わせ) 075-752-0227(京都市観光協会)
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by taoya3 | 2009-04-07 15:23 | 京都歳時記

満開の桜 京都

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(嵐山公園)
桜守・佐野藤右衛門さんと植藤造園のお庭

円山公園の大枝垂れ桜を始め、全国の桜を育て、パリやニューヨーク等世界各地でも日本庭園を手がけ、枯れかけた桜を再生する桜守として知られている「植藤造園」(1832年創業)16代目・佐野藤右衛門さんのお庭があります。

嵯峨野や広沢の池から比較的近いので、桜の時期には道中の観光客の目にもとまりやすく、知らずと桜の美しさにつられて立ち寄った人も多いかもしれませんね。

萱葺きの屋根が素朴な味わいの民家、大きな石や灯篭と枝垂れ桜が印象的なお庭で、中でも日本にたった2本しか現存しないという紅南殿(こうなでん)という桜があります。

もう一本は、新潟の弥彦神社にあり、それが枯れたら絶滅なのだとか。

佐野さんは、これまでの功績からユネスコ本部よりピカソ賞を贈られています。

桜の一本一本に個性があり、自分も同じ生き物として、自然の一部という気持ちで桜を見る事をすすめています。

ちなみに、佐野さんは、交配種で人気者のソメイヨシノは「どれも同じで個性のない」ので嫌いなのだとか(笑)。

http://www.diners.co.jp/cyber_station_2006/winter3/tabibiyori/special/index.html

日本さくらの会の副会長でもある佐野さんの著書には「さくら大観」「京の桜」『桜のいのち、庭のこころ』や『桜よ』があります。



地主桜「御車返しの桜」(地主神社)

桜の古木がご神体として祀られている地主神社。

地主桜は、一本の木に八重と一重の花が同時に咲くという珍しい品種で、社紋にも採用されています。

嵯峨天皇行幸の折、地主の桜の美しさに、思わず三度も御車を返されたという故事から、別名「御車返しの桜」とも呼ばれています。

現在の地主桜は、桜守の佐野藤右衛門氏から献木されたもの。

京に都が置かれていた頃は、白川女が毎年御所にこの桜を届け、謡曲『田村』『熊野』でも謡われていて、「都おどり」の演目の題材等にも選ばれている名桜。
背後の黄桜(ウコンの桜)は、黄色で八重咲きの桜。例年は地主桜より先に咲きます。

他には染井吉野、八重桜、朝日山(八重咲きで低木)、妹背桜(開花は八重桜の中でも遅め)等の品種があります。

また、1581(天正9)年には、豊臣秀吉が当社で花見の宴を催していたそうです。



大石桜

忠臣蔵で有名な大石良雄公(大石内蔵助)が山科で隠棲された地に大石神社が建設されるにあたり、その地に生育していた「しだれ桜」を定植させ、昭和十年御鎮座にあわせ、御神木とされました。

戦後、その雄大さ、美しさは参拝者や地域の人々に愛され、親しまれ、「大石桜」と呼ばれるようになり、京都でも有数の桜として満開の季節には多くの参拝者で賑わっています。



円山公園の大枝垂れ桜と兄弟桜

現在は2代目で、樹齢は約80年。

枯死した初代の桜の種から育てた若木を桜守の15代目佐野藤右衛門氏が植えた「祇園しだれ桜」。

この兄弟桜は意外とたくさんいるようです。

円山公園の先代の枝垂れ桜は、京都府綴喜郡井手町にある地蔵禅院の親木から株分けしたものなのだそう。

また、他の兄弟桜は京都府庁旧本館の中庭や高雄の個人宅にも立派に根を下ろしています。
地蔵禅院(京都府綴喜郡井手町大字井手小字東垣内16) 0774-82-2810

九鬼周造は「 この美の神のまわりのものは私にはすべてが美で、すべてが善である。

酔漢が一升徳利を抱えて暴れているのもいい。群集からこぼれ出て路端に傍若無人に立小便をしている男も見逃してやりたい。

どんな狂態を演じても、どんな無軌道に振舞っても、この桜の前ならばあながち悪くはない。」 と書いているそう。



西行桜


平安時代末期、佐藤義清が、この勝持寺で出家し西行と名を改めて庵を結び、一株の桜を植えて吟愛されていました。

花と月を愛した西行法師にちなみ、その桜を西行桜と呼び、寺を花の寺と呼ぶようになりました。

鐘楼のよこにあるこの“西行桜”は八重桜で、春のシーズンにはたくさんの方が訪れます。

清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき与謝野晶子「みだれ髪」



太閤桜


真言宗醍醐派総本山である醍醐寺で1598年に太閤豊臣秀吉が盛大な花見を催しました。

花見開催にあたり、畿内各地から約700本もの桜を集め、移植したそうです。

その盛大な花見にちなんで「太閤桜」と呼ばれています。



常照寺

参道奥に位置する朱塗りの門は江戸時代初期の名妓、吉野太夫が寄進したもので、「吉野門」と呼ばれます。

常照寺の桜はそれにちなみ「吉野桜」と呼ばれています。

4月の第3日曜には吉野太夫花供養が行われます。



平安神宮神苑の八重紅しだれ桜、左近の桜


谷崎潤一郎が『細雪』の中で「紅の雲のよう」と表現した平安神宮の八重紅しだれ桜。本殿裏を囲むように位置する神苑に入った瞬間、まさに紅い雲のように空を覆っているしだれ桜の木々は圧巻です。

平安神宮は桓武、孝明両天皇をご祭神として祀っています。平安遷都1100年を記念し、1895年に創建される時に京都御所と同じく、本殿前に「左近の桜」、「右近の橘」が植えられました。

おひなさまの雛壇にも同じ配置で「左近の桜」と「右近の橘」が飾られていますね。



左近の桜(京都御所)


京都御苑内の京都御所には、明治の初めまで天皇が実際に住まれていました。

紫宸殿等で儀式が行われる際には、天皇を守るために左近衛大将 (さこんのえだいしょう)と右近衛門大将(うこんのえだいしょう)が天皇を挟んで両側に座る位置を示したのが「左近の桜」「右近の橘」として知られています。



御室桜


「御室有明」を中心にサトザクラ約200本あり、土質の関係から樹高が2~4mの灌木状となり、地上から20~30cmで花をつけます。

地面から直接桜の花が生えているように見える桜林は非常にめずらしく、たくさんの花見客が訪れます。

また、遅咲きの桜としても有名で、例年の見頃は他の桜が散ってからとなります。

『桜のトンネル原谷苑の紅しだれ桜 仁和寺の御室桜ツアー』・『京都の桜名所めぐりツアー』 ・『穴場桜名所巡り 遅咲きの古都桜景(原谷苑・仁和寺・常照皇寺・春日神社)と高雄山つつじを巡る旅 』

注) 京都御所の「左近の桜」は春季一般公開期間以外では事前申し込みをしないと見ることは出来ません。(通常は塀に囲まれた中にあり、立入禁止です。)




鞍馬の雲珠桜


数多くの歌にも詠まれた桜。その名の由来は、花の咲く景観が馬の鞍飾りである「雲珠」に似ていたからとも、鞍馬の山中に咲く桜が渦を巻いていたからとも伝わります。



普賢像桜(千本ゑんま堂)

後小松天皇も愛でたと伝わる美しい桜。花の中心に出ている2枚の細い緑葉が象の牙のよう。

その花の姿を象に乗った普賢菩薩に見立てて、この名がついたのだそうです。

椿のように花ごと落ち、散る風情を楽しみたい桜です。



墨染桜(墨染寺)

「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(『古今集』)

平安時代の歌人、上野峯雄(かんつけのみねお)が藤原基経の死を悼んで歌を詠んだところ、薄墨色がかった桜の花が咲いたと伝わります。



待賢門院桜(法金剛院)


法金剛院に古くから伝わる桜。このお寺を建立した鳥羽上皇の中宮、待賢門院にちなんでその名をもつ。

花の色が紫色に見えることから、別名「紫の桜」とも呼ばれています。
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by taoya3 | 2009-04-07 08:50

京都歳時記

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ライトアップも各所で行われております。

※円山公園
 開催中~4月中旬(予定) 日没~午前1時
 しだれ桜の周りに“かがり火”が焚かれます。
 お問い合わせ 075-561-0533
※嵐山中之島公園 
 3月20日(金・祝)~4月12日(日) 日没~22時
 お問い合わせ 嵐山保勝会 075-861-0012

※二条城 075-841-0096
 3月20日(金)~4月12日(日)
 月~木 18~21時(閉城21時半) / 金・土は30分延長
 大人400円、小中学・高校生200円、和装の方は無料

※木屋町四条~松原
 3月下旬~4月上旬(予定)
 1kmの長さに50基の照明が、約200本の桜を照らします。

※平野神社
 3月25日(水)~4月20日(月)頃。約400本の桜が境内に咲きます。
 お問い合わせ 075-461-4450

※松尾大社
 4月18日(土)・19日(日) 18時~21時(受付終了)
 山吹まつりに合わせて行われます。
 大人500円 小中学生350円
 お問い合わせ 075-871-5016

※嵐電北野線 京福電車鉄道部 075-801-5328
 4月上旬頃(桜の開花に合わせ1週間~10日間程) 日没~21時頃
 運賃 200円均一



<夜の特別拝観>

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※清水寺
 3月28日(土)~4月12日(日) 18時30分~21時30分(受付終了)
 大人400円 小人200円
 お問い合わせ 075-551-1234

※青蓮院
 4月26日(土)~5月6日(水・祝) 18時~21時半(受付終了)
 大人800円 小人(小中高生)400円
 お問い合わせ 075-561-2345

※大日堂庭園・展望台ライトアップ
 3月26日(土)~5月6日(水・祝) 17時~21時(受付終了)
 大人500円 中高生400円 小学生200円(団体割引あり) 
 お問い合わせ 将軍塚事務所 075-771-0390

※高台寺
 開催中~5月6日(水・祝) 9時~21時30分(受付終了) 日没後ライトアップ
 拝観料(掌美術館含む) 大人600円 中高生250円 小学生以下無料
 三カ所共通割引拝観券(高台寺・圓徳院・掌美術館) 大人900円
 お問い合わせ 075-561-9966

※高台寺 圓徳院
 開催中~5月6日(水・祝) 10時~21時30分(受付終了)
 大人500円 中高生200円 小学生以下無料
 三カ所共通割引拝観券(高台寺・圓徳院・掌美術館) 大人900円
 お問い合わせ 075-525-0101


今宮神社・玄武神社・川上大神宮社 「やすらい祭/やすらい花」
12日(日)
京都三奇祭のひとつとされています。見学自由。(雨天中止)
神事や巡行など一日がかりで行われます。

お問い合わせ
  今宮神社 075-491-0082 玄武神社 075-451-4680 川上大神宮社 075-493-2750


清凉寺 「御身拭式」
19日(日)
御身拭・浄布希望の方は事前申込が必要です(有料)
毎年この日には身を清めた住職が苔寺より運ばれてきた香水に白布を浸し、本尊を拭い、拭ったあとの白布を往生浄土を望む参拝者に授与します。

お問い合わせ 075-861-0343
 
百万遍知恩寺 「法然上人御忌大会」
23日(木)~25日(土)
 22日 15時~ 開白法要
 23日 初讃唱導師「新潟教区 善導寺 小池良英 上人」
 24日 初讃唱導師「京都教区 大頂寺 土方了哉 上人」
 25日 当日導師 「服部法丸法主台下御親修」

お問い合わせ 075-781-9171


松尾大社 神幸祭
26日(日) 10時~
松尾七社の神輿と唐櫃が境内を出て桂川を渡っていきます。

お問い合わせ 075-871-5016
  
城南宮 「曲水の宴」
29日(水・祝) 14時~ 白拍子の舞
曲水の宴は王朝貴族の遊びを再現します。「楽水苑」は無料公開されます。(雨天中止)

お問い合わせ 075-623-0846
  
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by taoya3 | 2009-04-06 21:13

京の頑固のひとり言

三話  対立は不毛である事

最近正しいか正しくないかの理論が、対立をおこしています。

「法規範に外れれなかったら大丈夫」、「社会規範は古い観念で打ち破られるべきだ」という考えで、若い人達が台頭してきました。

先頭に立った坂本龍馬は暗殺されますが、二番手はうまく既勢力を味方につけて自分達の目的を成就させました。

最近の話題でいえば、ライブドアが斥候として行き、最後は、ソフトバンク。

出来レースをしているのではないかと疑う程でした。

孫さんは、今までの成功者と対立をしないで、自分に取り込んで味方につけ、後でホワイトナイト役で出てくる。

明治の時代と良く似ていますね。

私も昔、自分が正しいと思った話を友人のお父さんに話をしていた時、そのお父さんから、「正しいよりも、敵を作る事を何故するのか。」、「敵を作ることによって、正しかったとしても今後やりにくくなりますよ。」とお教えいただいた事があります。

農耕民族の日本人社会です。

正誤より、年齢順、強弱、性別等、色々な常識のものさしで評価されます。

こんな常識がまかり通る世の中もいいんじゃないかとかんがえます。

京都では三代京都在住者が京都人と言われます。

私も三代は京都ですが、私は京都が好きで、京都にとっていい事をしていただける方、継続していく為の努力を大事にしていただける方なら京都人と言っていただいても嬉しいかぎりです。

同じような常識が通ずる世界で生きる方が心地良いとかんがえています。

昔八坂神社の宮司さんに「氏子さんの条件はと?」お聞きした事があります。

お答えは「手を合わせて、願い事をされる方が氏子です。」とおっしゃいました。

住むと言う事実よりも、精神的なものさしで計られていると悟りました。

「京都が嫌い」と言う、京都在住者がおられたら、「何処に住む自由もありますから、どうぞお引越ししてください。」という意地悪な事を出来るだけにこやかに言う様につとめています。

きつい事言われたと言われたくないために…。


http://www.e-kyoto.net/

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by taoya3 | 2009-04-06 08:23

京の頑固のひとり言

二話  借景の活用
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昔から、お寺や豪邸を建てる時には、借景を取り込んで建てていました。

岡崎の別邸、嵐山、嵯峨野、北白川、鴨川沿いなど、もう既に存在している力(景観、景色など)を取り込んで行く事を心得た町です。

自然の力を無視し、構築しすぎるといつかはつぶれる。

京都は川があり、鞍馬や比叡山からの水で京野菜を育て、漬物等にし、豆腐や麩・湯葉をつくり、茶道はこの水脈に庵を建て、きものやさんは糸や反物を染めたりし、その水が一旦地下にもぐって伏し水となり、桃山の御陵からの水とで伏見の酒となっている。

宇治のお茶もそうです。

自然は征服するのではなく、共生するものなのでしょう。

京都の工業は、明治時代にヨーロッパの最先端技術を伝える舎密(せいみ)局化学を意味する「chemie」から来ている。

島津製作所の島津源蔵はここに出入りする間に試験管やフラスコを作ったりし、それは医療器械等に発展しました。

「GS」バッテリーは彼のイニシャルを取ったものです。

また京都大学があったために多くの技術者の供給がありました。

花札から任天堂。陶器から村田製作所、京セラ。織機から村田機械。

はかりからイシダ。

などなど昔からあったものの発展形で大企業になった所が多い。

印刷技術からプリント技術を使いプリント基板等の大手になった所もある。

知恵と開発ノウハウは京都で製造は他所が多い。

有る力を利用して大きくなっていくわけです。

大丸百貨店、高島屋、伊藤忠、丸紅、三井、住友、鴻池(三和)等も京都から発展していった企業も多く、いまだにその歴史が刻まれているところがあります。

「変えずに来た事の努力に、敬意を表したいと思います。」
JR東海「そうだ京都、行こう。」より


http://www.e-kyoto.net/
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by taoya3 | 2009-04-05 11:32

京の頑固のひとり言

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一話  生き延びる知恵

2005年、京都に観光でいらっしゃる方は年間5,000万人になってまいりました。

特に4月、5月、11月は満杯です。

桜・紅葉で、咲き具合・色づき具合等を確かめながら来られます。

男女比は六割以上女性で40歳以上が多く、リピーターが多い。

各宗派の総本山や、茶道、華道の行事、祭りがあるためでしょう。

殆どが昔から行われているものを少しづつ進化させているのが、お客様を引き付けています。

花灯路(観光地のライトアップ)等はいい例です。

自然の流れに行事が目盛りになって旬の京料理を楽しむ。

桜なら、円山公園の花見、今宮神社、鴨川のほとり、平安神宮の紅しだれ、御室のぼたん桜等、京都はテーマパークの様ですね。

「パリやロスにちょっと詳しいより、京都にもっと詳しい方がかっこいいかもしれないな」

JR東海『そうだ京都、行こう。』より引用

私の姪がオーストラリアに旅行に行って来て帰った時、「英語はしゃべれたけれど日本の事を知らなかったので会話にならなかった」と言い、京都をもっと勉強するといっていました。

国際交流は先ず自分の国を良く知って、相手の国との違いを知らないと交流にはならないでしょうね。

世界に1000年以上の歴史を持ち、発展し続けている都市はそんなに無いでしょう。

その間に天変地異があったり、疫病が流行ったり、戦争があったりして壊滅状態を何度も経験している所には必ず生き延びる知恵があるのではと考えます。

京都議定書等の京都会議が開かれるのも、むべなるかなですね。


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by taoya3 | 2009-04-04 09:38